『三度目の殺人』~“達観にも似た諦観”に向き合う一作~
前作『海よりもまだ深く』でホームドラマに区切りをつけ、最初の作品となった『三度目の殺人』。
これまでのホームドラマで磨かれた「人物のデッサン力」と、是枝監督の出自であるドキュメンタリーで鍛えられた「社会問題を深掘りする力」が合わさった非常に見応えのある作品だった。
● 脚本
本作は、「司法」に対して多くの人が持つ「そういうもんだろう」という“達観にも似た諦観”に真正面から向き合っており、
主人公の重盛(福山雅治)と同じく、自分の中で“正しい”と思っていたことが次々と揺らいでいった。
・裁判は誰のために、何のために
弁護士である重盛は三隅(役所広司)のために、量刑を軽くするためのストーリー[嘘]をつくり上げていく。しかし、三隅の証言が次々と変わり、重盛は自分の作り上げたものと食い違うことに苛立ちを覚える。
そして、被告人のために闘っているはずの弁護士が「真実なんてどうでもいい」と口走る。
物語の終盤、「自白をしたら楽になると言われた。本当は殺していない。」という三隅の言葉を信じ、重盛は主張を変更する。
それに対し、正義の下に人を裁くはずの裁判長が「訴訟経済がねぇ」と口をつく。
「被告人のため」「正義のため」と言いながら、結局は「自分の地位や名声のため」に動いているという、司法の実態を改めて見せられ閉口してしまった。
またそこに、「真実のため」と言いながら、「被害者の妻と犯人が共謀?」という読者受けのいいつくり上げられたストーリーを伝えるメディアも重なって見えた。
・“正義”とは
世の中の多くの人は、見て見ぬふりをして生きている。
しかし、三隅はそれができずに正義を貫いて生きてきた。そして刑務所という籠から一度は出たが、「食品偽装」という嘘をついた工場長を裁かずにはいられなかった。
一見すると自己正義で人を殺した犯罪者だが、裁判官が判決を下して人を殺す「死刑」と比べた時に、三隅の行為を躊躇なく非難できるだろうか?
「法治国家だからダメだ」ということを、司法の実態を見ても言えるのだろうか?
日本人が長い間、目を逸らしてきた死刑制度について、ここで向き合わされた。
・複雑な絡み合い
親子は嫌なところも似るものである。
これまでの是枝監督のホームドラマでも共通して描かれてきたこの点が、
今回も「万引きした相手に弁護士として慣れたように謝る父・思いのままに涙を流せる娘(蒔田彩珠)」などで見られた。
これによって、工場長が家族を養うため・前科持ちを雇うために「食品偽装」という嘘をついたとすれば、
娘である咲江の「父親にレイプされた」という証言も三隅を救うためについた嘘なのではないか、という考えに至る。
また、重盛の娘が万引きした際に見せた嘘の涙が、事務所を去る際に見せた咲江の涙に疑いを持たせる。
色んな描写が絡み合い、何が事実か分からぬまま映画は終わっていった。
●撮影
今回は『そして父になる』『海街diary』でも撮影監督を務めた瀧本幹也さんとの再タッグということもあり、各場面とも“光”が非常に印象的だった。
特に、法廷は日本の作品でよく見られる閉鎖的なものではなく、『そして父になる』と同様に光が差し込んでいる法廷であったのが、陰陽を感じさせていた。
加えて、接見室でのやり取りのシーンで、ガラスの反射を使って重盛と三隅が被っていくというカットは圧巻だった。
また、今回は顔に寄った画が多く、役者陣の“目の演技”が光っていた。
重盛の真っ直ぐな目、三隅の空虚な目、咲江の怒りと諦めの目…など、セリフがないシーンでも意味を感じさせるモノが多くあった。
一度目を見終わって「三度目の殺人とは何を意味するのか?」「十字架のモチーフは他にもあるのか?」等、まだまだモヤモヤするところが多く残っているため、
二度・三度と見てこの映画の味を更に噛みしめたい。
※追記
<新たに気づいたこと>
・裁判の最後、三隅が咲江の前で鳥を放すジェスチャーをしていた
・「カナリアが入った籠」と「刑務所」・「三隅が1匹だけ離す行為」と「重盛の父が死刑を下さなかったこと」(命を弄ぶ)のリンク
・「接見室」と教会の「懺悔室」とのリンク
<ティーチイン>
Q.映画の中で重盛は大きくブレていたが、是枝監督自身の考え方もブレたか?
A.実際に弁護士の方にロールプレイングをしてもらう中で、自分がいかに裁判を情緒的に捉えているかを感じた。その度に脚本を書き直したが、企画自体の着地点は役所さんに書いた手紙の内容と同じになったと思う。
Q.これまでの映画と違い、食事のシーンにこだわりがなかったのはなぜか?
A.弁護士という職業柄、食へのこだわりはないと考えて牛丼などの簡単に済ませることができる食事を選んだ。
ちなみに、お父さんは退職したのでイタリアンにハマったり、ニットの服を着たりするようになったという設定にした。
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